25年前、戦争があった。 いや、戦争ならば何度も起こっている。 その戦争での特筆すべき点は、一つの国が滅びたことであった。 大陸東部に位置する中規模の国家「フィツール王国」この国が、滅んだのである。 亡国は、軍人にとって恥である。多くの戦人が、抵抗した。 そして、大量の血が失われた。 首都レグザミールをめぐる攻防戦の最終局面で、国王カイオスは王妃エレナを殺害した後に自害。そして、王族の殆 どは後の残党狩りによって炙り出され、軟禁もしくは流刑、中には死を賜った王族もいた。 フィツール再興の芽は、全て絶たれたと思われた。 ただ一つの例外を除いて。 カイオスの忘れ形見である、幼い王子ユリウス。カイオスにとっては、ただ一人の息子である。 乳母と一人の武将によって、混乱の坩堝となっていたレグザミールから脱出したユリウスは、隣国ブレストンへとその 身を寄せていた。 ブレストンとフィツールの結びつきは強い。また、皇帝クライドとカイオスとの間には、固い友情が存在していた。 フィツール地方を獲得したナディア帝国は、クライドにユリウスの引渡しを要求したが、クライドは「一戦も辞さん」とば かりに拒否。 ブレストン兵の精強さには定評があり、ナディアは先の戦にて疲労困憊していた。それゆえか、それ以上の要求が行 われることはなかった。 以後、ユリウスはブレストン帝国にて、「ジュリアス」と名を変えてクライドの家臣の一人として成長していく。 彼が27歳になったとき、物語の幕は開く――。 第一話 カレリアのジュリアス 共通歴26年 6月 ブレストン帝国南部 カレリア
ジュリアスは謁見室に一人佇んでいた。カレリアは冬季に首都として使用されることがあるため、謁見室は非常に凝
ったつくりとなっている。
「よぉジュリアス、お前も呼ばれたのか?」
背後からの大きな声。ジュリアスが振り返ると、そこには同僚のレオンがいた。
「あぁ、お前もか。どうもこの様子だと、呼ばれたのは俺たちだけじゃないみたいだな」
ジュリアスの台詞が終わらないうちに、同僚のリーンとユリアナ、そしてジュリアスの先輩にあたるライーザとカインが
続々と入ってくる。
「なんだ、若手のオールスター勢ぞろいかよ」
カインが笑った。いかつい体つきだが、笑った時の顔は人懐っこい。
「みたいだな。さーて、フリック様はどんな無理難題を吹っかけてくるんかねぇ……。どーせ『難しい任務だが、やり遂げ
てくれると信じておる』なんて言うんだぜ?」
レオンの声真似に、ユリアナは思わずクスクスと笑い声を立てた。それなりに似ている。
「解ってるみたいだな、レオン。だが、ワシはまだそんなにしわがれた声はしておらんぞ」
「!!」
背後からの声にレオンは慌てて振り返る。其処にはカレリア太守を務める初老の男、フリックがいた。
「し、し、失礼しました!!」
レオンが慌てて頭を下げる。ライーザが「やれやれ」といった感じで肩を竦めた。
「さて、よく集まってくれた」
フリックが上座に座る。とはいっても、玉座として使われることもある椅子には座らなかったのだが。
「リンガベルの賊がまた騒ぎ出した。今度こそ徹底的に叩かねばならん」
リンガベル。カレリアの北西部、ハイランドとの国境間際の小都市。前々から治安は悪く、特に最近は犯罪者達が白
昼堂々と歩いている無法地帯と化している。
叩いても叩いても賊が集まってくる。ブレストンの上層部はいつも頭を悩ませていた。
「そこでだ。君達に討伐に赴いてもらいたい。徹底的に頼む」
「徹底的……ですか」
「そうだ。兵2500を預ける。総大将はジュリアス。ライーザとカインが副将に就け。出陣は今月末。頼んだ」
「お、俺が総大将!?」
ジュリアスは驚きを隠せない様子である。無理も無い。武将としての経験は、ライーザとカインのほうが長い。
「良かったじゃねーか、総大将♪」
カインが笑いながらジュリアスの背中を叩く。
「いつでもご命令を……ってね?」
ライーザも悪戯っぽい笑みを浮かべたままクスクスと笑っていた。二人とも、年若のジュリアスが指揮を執ることを快く
思っていないわけではないようだ。
ジュリアスは優秀な武官である。彼にならば任せられた。それに、この六人はプライベートでも仲が良い。そういった
部分も、影響しているのかもしれない。
「吉報を期待する。それでは、任せたぞ」
フリックが退室する。ジュリアス達はフリックが部屋から出るのを待って、騒ぎ出した。
「良かったじゃねーか、えぇ?」
「これからは「総大将」って呼ばねーとな♪」
「ったく、他人事だと思って……」
実に楽しそうにカインとレオンがジュリアスの肩を叩く。ジュリアスは顔をしかめながらボヤいていた。
「んふふふ……久々の戦だ。腕が鳴るよ」
その横でライーザが不敵に笑う。女性武将の例に漏れず、彼女も功名心が高く、勝気である。その美貌と、ツンツン
した性格からか、妙に兵卒から人気がある。
妙に楽しそうな4人を尻目に、リーンだけは浮かない表情をしていた。
「……解せんな」
「? どうかしました??」
「いや、なんでもない。コッチの話だよ」
賊徒の討伐? それにしては与えられた兵の数が多い。それに、これだけの面子だ。徹底的にだって? まさかリン
ガベル丸ごと焼き払えと? 馬鹿馬鹿しい。
……もしや、な。
あまり考えたくは無い事態だが、最悪の展開は覚悟しないといけないかもしれないな。
全く、無理難題かもしれないな。
リーンが少しだけ笑みを浮かべた。
カレリア城下 学習塾前
今日もいる。
全く、子供じゃないっていうのに。
カチュアは門の前に立っている男を窓から見下ろしながら、憂鬱そうにため息を吐いた。
「ねぇカチュア、お兄さん来てるよ?」
クラスメイトの少女がカチュアの袖を引っ張る。
「いいなぁ〜。あんなカッコいいお兄ちゃん居て」
「そんなことないよぉ……。あの人すんごい遊び人だよ?」
「え〜? 根暗よかいいじゃん」
「そりゃそうだけどさぁ……」
恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。この歳になって兄と一緒に帰るなど。
とは言うものの、カチュアは12歳、兄は27歳。兄から見れば彼女はまだまだ子供なのだ。
「ささ、かーえろ帰ろ♪」
「わわ、ちょっと!」
クラスメイトがカチュアを引っ張りながら階段を降り、塾の門に出る。
「お疲れさん」
「あ、ジュリアスさん、こんにちは〜♪」
クラスメイトが門の前に立っていた男―ジュリアス―に挨拶をする。カチュアはその横で不機嫌そうな顔をしていた。
「ホント、カチュアが羨ましいっすよ〜。ジュリアスさんみたいなカッコいいお兄ちゃんがいて」
「ははは、そうかそうか。ん?? 何が欲しい?」
ジュリアスは財布を握るような仕草を取った後、冗談っぽく笑った。クラスメイトもつられて笑う。カチュアは相変わらず
むすっとしたままである。
「そんじゃカチュア、また明日ね〜〜」
「あ、うん。バイバイ」
クラスメイトがカチュアに手を振って、別方向へと足を向けた。
「じゃ、帰るか」
「うん」
ジュリアスとカチュアも家路を辿る。くっついているのか、離れているのかよくわからない、微妙な感覚を保ったまま。
「なぁカチュア?」
「何?」
「俺、今度総大将やることになったわ」
「ほ、ホントッ!?」
「まぁ俺ぐらいの男が総大将やらないほうがおかしいわな。今までが異常だったんだよ」
「……自意識過剰乙。ま、ライーザさんとかカインさんとか差し置いて総大将やらせてもらえるんでしょ? 良いことじゃ
ん。おめでと」
カチュアは照れくさそうにジュリアスの顔を見た後、彼の手を握る。そのまま、ジュリアスにくっつくかのように体を近づ
かせた。ジュリアスが怪訝そうにカチュアの眼を見る。
「どーした、急に。一体どういう風の吹き回しだよ」
「……ご褒美」
「これがか?」
ジュリアスが笑った。カチュアは慌てて彼の手を離す。
「べ、別に嫌ならいいけど」
「いーや、嬉しい。ありがとさん」
むくれるカチュアの頭をジュリアスが撫でる。それと同時に、カチュアは再びジュリアスの手を握った。照れくさそうな、
はにかんだような笑顔を浮かべて。
「お父さん、喜ぶだろうね」
「だな。いいもん食わせてもらわないと」
「そうだね」
彼らは寄り添ったまま、家路を辿っていった。
カレリア城内 錬兵場
レオンとライーザが、剣舞を舞っていた。
三本の長剣が、日光を照り返して鋭く光っている。長剣が交差するたびにライーザの赤い髪と、レオンの黒い髪が揺
れた。
幾度も幾度も火花が散る。周囲で訓練していた兵卒も、己の訓練を中止して、二人の剣舞に釘付けとなっていた。
……いや、剣舞ではない。純粋な鍛錬である。だが、剣舞と見紛うほど二人の息は合っていた。
レオンが操る二本の長剣が大半径で別々の円を描く中、ライーザの長剣が小さく、かつ高速で舞う。
いつまでも続くかと思われた剣舞だったが、ライーザの長剣がレオンの喉元を捉え、二人の動きは止まった。
「勝負アリ、だねぇ」
カインが二人の間に割って入る。ライーザは軽く肩で息をして、剣を引いた。周囲の止まっていた訓練も再開される。
「ったく、相変わらずブンブン丸だな、レオン」
ライーザが茶化すように笑った。
「ブンブン丸ゥ?」
「後先考えずに大きく振りすぎだってことさ」
レオンの振りは大きい。そのスピードこそかなり速いのだが、後のことを考えていないと取られても仕方ないほど隙が
ある。ライーザは小手先の技量に優れていた。訓練時のレオンをいなすことは、赤子の手を捻るようなものである。
最も、彼の武は訓練の時にその真価を発揮できるものではないのだが。生死を分かつ戦場でこそ、彼の武は輝きを
持つ。
「俺ァ実践派なんだよ」
「そうでいてくれ」
レオンは個人的な武勇には非常に優れている。ただ、用兵技術ではライーザやカインに数段劣った。それが、彼のあ
まり高くない評価に結びついている。もう一振りの剣で戦況が激変するような時代ではないのだ。
しかし、彼が時折見せる鬼神のような働きは、彼の指揮下の兵卒達にとって非常に頼もしいものとして映っていた。そ
れ故に、彼が指揮する部隊の戦果はなかなかのものがある。
「よっしゃレオン、次は俺とだ、俺と」
「俺を殺す気かよ、先輩方……」
大斧を振り回すカインを見て、レオンはキツそうな笑みを浮かべた。
カレリア城内 フリックの執務室
一人の男が窓から錬兵場を眺めていた。白髪で、がっしりとした体つきである。その眼は鷹のように鋭かった。
「なかなかに良い動きですな、フリック殿」
男が口を開いた。フリックは書類に走らせていたペンを止め、男の方に向き直る。
「いえ、まだまだですよ。貴方から見てもらいたいものです。『鷹の目』殿」
「ワシはもう一線を退いてから長い。昔のようなシゴキ方はできませぬよ」
『鷹の目』と呼ばれた男が肩を揺らして笑った。彼とフリックとは、旧知の仲のようである。
「しかし、随分と思い切ったマネをされたものですな。ユリウス……いや、ジュリアス様が総司令官とは」
「彼になら安心して任せられます。周りの者も優秀な武将揃いですからな」
「まぁワシとしても、あの方には経験を積んでいただきたいものですがな。フリック殿には、感謝いたしましょう」
「いやはや、彼には残っていただきたいものなのですがな。アレン殿には悪いですが」
二人の古強者が笑った。
カレリア城内 資料室
「リンガベル……ブレストンとハイランドとの国境に位置する小都市……。書類上ではブレストンの領土だが、近年の治
安の悪化に伴って、領有権を放棄しているような状態。現在でははみ出し者達が集結している、か……」
リーンは頬杖をつきながら、リンガベルについて書かれた報告書を読んでいた。
「……やはり解せん。リンガベルを攻め取ったところで、メリットなどあるのか?」
考えが煮詰まったのか、リーンは頭を掻いた後に軽く背伸びをした。リンガベルの賊徒の鎮圧という目的に対し、与え
られた兵力は明らかに過剰である。
……しかし、リンガベルの連中が騒ぎ出したのは昨日今日の話ではない。もう何年にもなる。それを今更?
「解らんな……。まぁ、解らないことは案じない方がいいかもしれんな」
リーンはため息を吐き、報告書を棚に戻した。入口のほうにかけておいた帽子を被る。
「あ、あれ? リーンさんも調べものですか?」
リーンが退室しようとした時に、多くの荷物を抱えたユリアナがフラフラしながら入ってくる。
「まぁな。……というか凄い荷物だな、おい」
「いや、今回は私が輜重を担当しますので!! 皆をお腹一杯食べさせてあげないと!!」
そう張り切るユリアナの手には、地図やら予備品一覧やら、兵站関係の資料が山積みになっていた。前が見えるの
か、と問いかけたくなるほど。
「頼れるな。結構期待してるから、頑張れよ」
「はいッ!! 任せといてくださいッ!!」
ユリアナが敬礼する。その瞬間に抱えていた荷物が地に落ちた。彼女は慌ててそれを拾い集める。
「…………」
リーンは苦笑して、ユリアナが落とした荷物を拾い集めだした。
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