地下都市「アーク」。「箱舟」の名を冠する、欺瞞に満ちた世界である。
 唯一の統治機構である「政府」は、己の手足となって働くものを求めていた。
「政府」の統治が始まってもう数え切れないほどの年月が過ぎ去っている。不満を抱くものの殆どはテロリストとして各
地で暴れまわっていた。
 テロリスト達との抗争は年を経るごとに激化の一途を辿っている。今までは治安維持を担当する「軍警察」内の特殊
部隊がテロリストに対抗していたのだが、近年の損害の激化から、政府はもっと強力な打撃力を欲していた。
 人のようで、人でないモノ――。
 こちらの手足となる、優秀な駒――。
 それを、欲していた。


Artificial Phantom


「アーク」第三階層 「イグザクトリー製薬」研究所

 静まり返った研究室に、PHSの呼び出し音が鳴った。持ち主の女は、恥ずかしそうに電話を取る。
『パメラさんですか? 受付ですが……』
「どうしたんですか?」
 持ち主―パメラは、こそこそと廊下に出ながら電話に応える。廊下で一服している上司と目が合った。パメラはばつ
が悪そうに少しお辞儀をする。
『面会希望の方が来られています。ドーラ・フォークトさん。お姉さんとのことですが……』
 姉が来ている? 何かあったのだろうか。
「あ、姉です。わかりました、今行きます」
 パメラは電話を切り、一服していた上司のほうを向いた。上司が煙草を灰皿にねじりこむ。
「……姉が来てるそうです。少し、留守にしていいですか?」
「好きにしろ。どうせ行き詰ってんだ。連絡あったらピッチの方に電話するわ」
「すみません」
 パメラは研究室の自分の机に戻り、引き出しの鍵を開けて財布を取り出した。白衣を椅子にかけ、受付へと足を進め
る。
 別の区画で風俗嬢をやっている姉。会うのは結構久しぶりである。
「姉さん?」
 エントランスに着いたパメラは、姉の姿を確認すべく周りを見渡す。姉は喫煙ルームの中で煙草を吸っていた。
「や、パメラちゃん。お久しぶり〜」
 パメラの姿を確認できたのか、姉―ドーラは煙草の火を消してつかつかと喫煙ルームから出てくる。相変わらず、派
手な服装だ。
「お久しぶり。姉さん、元気だった?」
「うん、元気元気。パメラちゃんも元気そうで何よりね」
「それで、何か変わったことでもあったの?」
 ドーラは笑ってかぶりを振った。
「ううん、たまたま近くを通りかかったから」
「そう、良かった……」
「ごめんね、仕事中なのに」
 今度はパメラがかぶりを振る。
「ううん、丁度行き詰ってた頃だしね。お昼食べた?」
「まだ」
「じゃ、食べに行こっか? たまにはあたしが奢ってあげるから」
「ふふ、偉くなったものね」
 ドーラが苦笑した。そのまま、二人は自動ドアをくぐって路地へと出る。
「何にする?」
「おまかせ」
「そーゆーのが一番困るんだよなぁ……」
 パメラは頭をかきながら、行きつけの蕎麦屋に向かう。彼女らは二人とも美人だ。結構街行く人達の視線を集めてい
る。
「パメラちゃん、彼氏とはうまくいってるの?」
「へ? ま、まーね」
 パメラに彼氏はいない。数ヶ月前に見栄でついた嘘を突き通していた。
「ふーん。その割にはこないだチェスター君達と合コンしてたそうじゃない?」
「う……痛いトコを……。別に、気になる人はいなかったけどさ。それ以前に彼氏いるし」
 チェスターとは軍警察特殊部隊に勤務する男である。かなりの美男子として通っていた。
「てかなんで姉さんがチェスターのこと知ってんのよ。さてはお客さんで?」
「ヒ・ミ・ツ♪」
 研究所の女子職員何人かを連れてチェスター達と合コンをしたのは事実である。ただ、パメラは数合わせとして出た
だけなのだが。だが妙にベルンハルトとかいう男とは話が合った。パメラは結構オタクな部分があり、漫画やアニメの
話などで盛り上がっていたのだった。
 最も、周囲はドン引き状態だったのであるが。
 蕎麦屋に着いた。小奇麗な店ではないが、味のほうは保証つきだ。まだ12時前なので、客の入りも少ない。
「いらっしゃいませ!」
 店員の元気な声が響く。二人はテーブル席につき、メニューを広げた。店員が水の入ったコップとおしぼりを持ってく
る。
「…………決まった?」
「うん。店員さん呼ぶよ?」
 ドーラが声を張り上げた。店員が小走りで注文を取りに来る。
「お決まりでしょうか?」
「あたしは天そば」
「えっと、わかめそば」
「お箸とフォーク、どちらになさいます?」
「あたしはお箸で。姉さんは?」
「……フォークで」
「かしこまりました! 天ぷらそばと、わかめそばですね。少々お待ちください!」
 店員がエプロンのポケットから割り箸とプラスチック製のフォークを取り出してテーブルに置く。そのまま、厨房に向か
って注文を大声で叫んだ。元気のいい店員だ。印象は悪くない。
「姉さん、お箸使えないんだ♪」
 パメラの小馬鹿にしたような言葉に、ドーラは口に含んでいた水を噴出しそうになる。
「お、大きなお世話」
「あたしは完璧だよ? よかったら教えようか?」
 パメラが少し楽しそうに喋る。
「……それで、行き詰ってたって?」
「……新薬の研究。なかなか実験できなくて」
 嘘である。
 パメラ達のチームに与えられた仕事は、政府から依頼された「強化人間」の開発。神経系統及び人体の内部を人工
物を置き換え、身体能力の飛躍的な上昇を狙ったものである。
 机上研究は完璧。動物実験も成功。あとは人体実験だけである。
 しかし、その被験体がなかなか見つからなかった。
『いっそのこと、誘拐でもしようか?』
 プロジェクトのリーダーが言った言葉だ。半分以上冗談だろうが、そんな冗談が飛び出るぐらい彼女達は切羽詰って
いた。この実験が始まってから随分と長いことが経過している。技術実証が近いうちにできなければ、彼女達のチーム
は解散。最悪、首が飛ぶかもしれない。
 それぐらい、今回のプロジェクトに本社は社運をかけていた。
「ま、そりゃそうよね。効果も何も立証できてない薬の実験に、誰が名乗り出るっていうのかしら」
 最悪、被験者はプロジェクトのメンバーから選ばれるかもしれない。ひょっとしたら、自分かも。
「ふーん、仕事の話はよくわかんないけどさ」
 ドーラは少し水を飲む。店員がお盆を持ってやって来た。お盆の上には湯気を立てる器が二個、置いてある。
「お待たせしました! 天ぷらそばと、わかめそばになります! ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
 店員がそばの入った器をテーブルに置く。パメラは店員の問いに対して頷きで返答する。
「ごゆっくりどうぞ!」
 店員が会釈をして厨房のほうへ戻っていった。パメラは箸を割り、そばをすくい上げて息を吹きかける。
「パメラちゃん」
「ん?」
「お姉さんに任せときなさいね」
 ドーラがそばをすすりながら、小さく、かつ力強く囁いた。
「い、いや、意味わかんないから」
 嫌な予感がした。



 いつも姉は、自分のために身を引いてきた。
 お菓子が一個だけ余った時。同じ男性を好きになった時。両親を不慮の事故で亡くし、学費の支払いが困難になった
時。
 いつも笑って身を引いた姉。
 それだけに、先日の一言は、パメラの胸につかえていた。
「おはようございます」
 いつものように研究室の皆に挨拶し、自分の机に座る。恒例の朝のミーティングはもうすぐだ。
「おはようさん。今日は良い知らせがある。被験者が見つかった」
 上司が開口一番に、嬉しそうに喋る。
「本当ですかっ!?」
「これでやっと……準備急がないと!」
「うーん、テンション上がってきたね〜♪」
 同僚は皆、嬉しそうだった。研究続行、そして、自分が実験の対象でなくなったことに。
「……あとパメラ、ちょいとコッチへ来い」
 上司が部屋から出て行った。何だろう。……まさか。
 いいや、そんなはずはない。パメラは必死に疑念を打ち消しつつ、廊下へと足を進めた。
「……どうしました?」
「悪いことは言わん。お前はこのプロジェクトから身を引け。後のことは俺が口聞いてやる」
「なっ、何ですか急に!?」
 なぜか、姉の言葉が去来した。ずっと胸につかえていた一言が。

『お姉さんに任せときなさいね』

 嫌な予感がした。
 違う、違う、絶対に違う。そんなはずはない。
「……今回志願してきた被験者は、お前の姉さんだよ」
 嘘だと思いたかった。予想はしていたが、それでも。しばらく場を沈黙が包んだ。上司がやりきれなさそうに煙草に火
を点ける。
「…………嘘」
「……嘘じゃねぇ。謝礼金は全部、パメラにやってくれとのコトだ。本人はお前から施術されることを望んでるが、どうな
んだ?」
 どうして。どうしてこんなにあたしに気を遣うの。パメラは俯きつつ、消え入りそうな声で呟いた。
「……すみません、少し、考えさせてください……」
「そうしろ。このプロジェクトから身を引かなかったら、被験者の希望通りお前に施術させるからな」
 パメラは力ない足取りで、屋外に出る。胸ポケットから折り畳みの携帯電話を取り出し、乱暴に開いた。そのまま電話
帳から姉の携帯番号に電話する。
 少しの呼び出し音の後、電話が取られた。
 嘘であって欲しい。あたしを陥れるドッキリか何かであって欲しい。そうであればどれだけ楽か。
『パメラちゃん、話は聞いた?』
「……聞いたわ。冗談でしょ?」
『ううん、いたって本気』
 絶対に聞きたくない返答だった。パメラは大きく息を吸い込む。
「……何考えてるのよッ!!! 人体実験なのよ!!!」
 思いっきり吐いた。心の底から思っていることと一緒に。
「あたしがやってるのは新薬の開発なんかじゃない!! あたしがやってるのは……」
『ジェイソンさんから聞いたわ。『強化人間』って奴でしょ?』
「なら、どうして……!!!」
『パメラちゃん、よく聞いて。あたしがこの役をやらなかったら、絶対に誰かがこの役をやることになるの。ひょっとしたら
パメラちゃんがやることになるのかもしれない』
「それぐらい覚悟してたッ!! 姉さんはいつもそうよ!! あたしの気持も考えないで、自分でどんどん突っ走っ
て!!」
『前にも言わなかったかな? お姉さんは、パメラちゃんのためなら死んでもいいって』
「そんなの違うッ!! 絶対違うッ!!!」
『パメラちゃん、あたしの決心は変わらない。だから―――』
「あたしのことも、考えてよぉ……お願い、今ならまだ間に合うから……」
 自分の声に涙が混ざるのが解った。電話越しに、少し哀れむかのような声が聞こえた。
『ずっとお姉さんはパメラちゃんの言うこと聞いてきた。だから、今回だけは、お姉さんの言うこと聞いてね?』
「……できないよぉ。あたしにはできないよぉ!!!」
『―――ねぇパメラちゃん、人間じゃなくなってしまうのなら、せめて、貴女の手で、お願い』
 ドーラが電話を切った。
 おそらく、もう取り消しなんてのはきかないだろう。かなり切羽詰っている状況だ。誰もそんなことは許さない。
 そして、自分が辞退すれば、姉の施術をするのは―――。

 そうなれば、姉の希望通りに自分が施術するのが一番良いのだろう。だが、姉の体を切れるのか。姉を人で無くすこ
とが自分にできるのだろうか。
「パメラ、腹は決まったか?」
 上司が煙草を吸いながら出てくる。
「……煙草はやめてくれませんか?」
「すまん」
 上司が大人しく煙草の火を消す。普段はなんだかんだ言ってずっと吸いっぱなしなのに。やはりこちらに気を遣ってい
るんだろう。
「姉さん、言ってました。『人間じゃなくなってしまうのなら、貴女の手でお願い』って」
「……そうか。よっぽど、お前のことを信頼してるんだろうな」
 上司が手摺にもたれかかりながら、外を眺める。手摺の外はこの辺りでは珍しい緑化区域だ。
「お前はよくやってくれてた。知識も技術も、多分俺達の中じゃ二番目だろう」
「一番は?」
「俺に決まってるだろうが」
 上司が軽く笑った。ちょっと不愉快だ。勝ってるとは思わないが、負けてるとも思わない。
「俺の本音はな、お前には残っていて欲しい。お前に抜けられるの痛手は滅茶苦茶大きいからな」
「……大丈夫です。決心しました。あたしは…………」
 自分にはできないかもしれない。いや、できる。姉の体を切り刻み、訳のわからないものを埋め込み、姉を人でなくす
ことぐらい――。
「……このプロジェクトに残ります。姉の手術……やらせてください」
「いいのか? 後悔しないな?」
「……はい」
 上司が笑った。そして、再び煙草に火を点ける。
「全く、難儀な仕事だねぇ……。つくづくそう思うよ」
「そんなこと思う前に、煙草を消してください」


第三階層 軍警察支部

 携帯電話の呼び出し音が鳴った。アニメのオープニングテーマだ。
「どーした、ベルン。妹さんか?」
 大柄な男が携帯の持ち主の冴えない男―ベルンハルトに問いかける。
「いや、マイシスターは別の曲だ。誰だ?」
 ベルンハルトが携帯の画面に出ている発信者を見る。
「……パメラさんっ!?」
 予期せぬ発信者に、思わずベルンハルトは声をあげた。周りからの視線が彼に集中する。彼女とは一回合コンで話
して、それ以来メル友のような形になっていたのだった。
 とりあえずベルンハルトは電話に出ることにした。
「はい、もしもし」
『……明日休み?』
「はぁ。休みスけど?」
『用事は?』
「ない」
『じゃあ20番地のアパートに『正装で』9時に来るように。間違ってもいつもの趣味悪い服でなんか来ないで』
「ちょwww mjdk(マジでか)www」
『mj(マジ)交通費はこっちで持つわ。お昼も奢るから。宜しく』
 パメラが一方的に電話を切った。信じられない、といった顔をしていたベルンハルトに同僚が詰め寄る。
「kwsk(詳しく)」
「……20番地に正装で9時に来いって。交通費とお昼支給」
「ちょwww逆援助っぽいwww」
 人相の悪い男が驚愕する。
「パメラさんだろ? こないだの合コンに来てた、あの美人さん?」
「おー」
「チッ、死ねば良いのに」
 大柄な男が毒づいた。
「でもお前DT(童貞)だろ? どーすんのよ」
 男前が茶化す。
「どどど童貞ちゃうわ!!! それに俺は」
「ょぅι゙ょ一筋……だろ?」
 三人の声がハモる。見事なコンビネーションだ。
「まぁ俺が今までもてなかったほうがおかしいのよ。ょぅι゙ょじゃないのが至極残念だがな!! うはははは!!」
 ベルンハルトが高笑いする。部屋の端の方で雑誌を読んでいた女は面倒そうに呟いた。
「アナタ達、テンション高すぎて本当にうざいですわー」



第三階層 20番地

 ベルンハルトはスーツに身を包んで、アパートの前に立っていた。正直、あまり似合っていない。
「や、来たね。ちゃんとスーツ着てるし。うんうん」
 パメラが来た。パメラは普通の私服である。
「で、今日の用事なんだけど……」
「あいあい」
「簡単に言うわ。今日一日だけ彼氏になってくれる?」
「はいぃ!?」
 ベルンハルトは公道だというのに酷く驚いた。唖然とした表情のベルンハルトを置いといて、パメラは言葉を続ける。
「姉さんに『彼氏見せて』って言われたのよ。彼氏いないのに『いる』って言い張ってたから、仕方なく、ね」
「そんなしょうもないことで嘘つくなよ……」
 ベルンハルトが苦笑した。パメラも恥ずかしそうに笑う。
「あ、アンタを選んだのは、アンタがロリコンだってこと知ってるから、一番後腐れないと思ったから。べ、別に特別な感
情なんて抱いてないんだからね!」
「はいはい、わかってる。ツンデレ乙」
 パメラの先導で、ベルンハルトがアパートの一室に入っていく。
「姉さん、彼氏連れてきたよ」
「あ、はいはい。どうぞ、あがってあがって」
 パメラとベルンハルトがドーラの部屋に入る。結構シンプルな部屋だが、置いてある家具なんかは一級品だ。やはり、
結構稼いでいたのだろう。
「紹介するわ。彼氏のベルンハルト」
「はじめまして、ベルンハルト=シュヴァルベです」
 ベルンハルトが会釈をした。ドーラが彼を舐めるように見る。
「どうも、パメラの姉のドーラです。安心しました」
 ドーラは何か納得したように首を縦に振り、ベルンハルトに会釈をした。
「まぁ立ち話もなんですし、座ってください」
 パメラとベルンハルトが並んで座る。心なしか、ベルンハルトは緊張していた。
「馴れ初めから、聞かせてもらえますか?」



「ふぃいい〜〜〜、疲れたぁ〜〜〜」
 ベルンハルトはファミリーレストランの店内でくつろいでいた。ネクタイは如何せん慣れない。鬱陶しそうにネクタイを解
く。
「お疲れ。……今日はありがとね」
 パメラがドリンクバーのソフトドリンクを二個持ってくる。
「しっかしまぁ、姉さん美人だったねぇ。結構もてたんじゃないの?」
「へ? あ、うん、結構ね」
 パメラの返答はどこか変だった。妙にうわの空というか、なんというか。
「妙に元気ないな。どうしたん?」
「え? い、いや、別になんともない」
 パメラが慌てて否定する。その態度は余計に怪しかった。
 ウェイトレスが料理を運んでくる。決して美味くはないのだが、不味くもない。コストパフォーマンスは良かった。
 二人とも喋らず、黙々と料理を口にする。気まずい。ベルンハルトは何か会話のネタを探していた。
「ねぇ、ベルンハルトには妹さんいるんでしょ? 妹さんのためになら、命を捨てられる?」
「? どうしたんだよ、急に」
「いいから、答えて」
「そうだな……」
 ベルンハルトは料理を口に運ぶ手を止めて考える。彼にとって妹はただ一人の家族であり、軍警察の特殊部隊に志
願したのも彼女のためだった。
「捨てられるだろうな。妹の優先順位はかなり高いし、何よりも俺にとってただ一人の家族だしな」
「そう。やっぱりそう……」
 思えば、ベルンハルトとパメラの境遇は、立場こそ違えど非常に似ている。二人とも家族は一人のみで、年上の方が
年下のために高収入な仕事に就いている。
「ホント、どうしたんだよ、急に」
「……今度、姉さんは新薬の実験体になるの。あたしの作った」
 流石に強化人間とは言えない。
「動物実験は成功してる。でも、人間に使って大丈夫なのか、そこは全然わからない」
「……姉さんは自分から志願したのか?」
「うん。知ってたら、あたしは絶対に反対してた」
 パメラの声には力が無い。
「怖いの。凄く……凄く怖いの。あたしが姉さんを殺すかもしれない。あたしのために危険な実験体を買って出た姉さん
を、殺しちゃうのかもしれない……」
 パメラが俯く。眼から涙が零れ落ちたのが見えた。
「そんな姉さんに、あたしは嘘をついた……。ダメよね、ホント……。ホントに、ダメだよね……」
「…………ダメじゃない」
 ベルンハルトはフォークを置き、テーブルの向かいに座っているパメラの頭を撫でた。
「さっき、姉さん言ってただろ? 安心した、って。あの時俺は言葉の意味がよく解らんかったけど、今はよく解る」
 自分がいなくても、パメラはやっていける。ドーラはそう思ったのだろう。
「嘘も方便だ。悩むな。それに、パメラの実験がまだ失敗するって決まった訳じゃないだろ?」
「…………うん」
「なら、成功するよ。パメラが作った薬なんだろ? 大丈夫だって」
 ベルンハルトはパメラを励ますかのように必死に声を投げかけた。
「大丈夫だから、な? さ、食べよう食べよう! 冷めるって!」
「………………がと」
「ん?」
「ありがと」
 パメラは紙ナプキンで涙を拭き、ベルンハルトに向かって少しだけはにかんだ。



第三階層 「イグザクトリー製薬」研究所

「もう準備は出来てる」
 上司はいつものように煙草をふかしていた。ただ、やはり緊張するのだろう。何せ初めての人に対しての強化手術な
のだから。
「本当にいいんだな。後戻りはできんぞ」
「……はい。覚悟はできました」
 パメラは小さく、かつ力強く返答し、更衣室へ歩く。
 自分がやるんだ。必ず、必ず成功する。最高の手術にしてみせる。そして、姉を絶対に死なせない。いつものようとは
いかなくても、それでも笑えて、泣けて、怒れる、親しんだ姉のままにしてみせる。
 そうは言うが、やはり手が少し震えていた。怖い。失敗が怖い。
「落ち着け、落ち着くのよ、パメラ……」
 パメラは軽く深呼吸をした後、白衣を脱いだ。


 手術台に横たわった姉の身体。綺麗なものだ。売れっ子だったというのも解る。それを、妹である自分自身が切り刻
む。
「姉さん、麻酔かけるよ……」
「えぇ。思い切ってやっちゃって。ばっさばっさ切り刻んでくれていいからさ。ばっさばっさ!」
「……冗談になってないからさ……」
 全身麻酔の準備をする。
「ねぇ、お姉さんは失敗したとしても、アナタのことを恨まないからね」
「…うん」
「ベルンハルトさんと、仲良く」
「……うん」
「仕事には精一杯取り組んで」
「………うん」
「失敗して、お姉さんがいなくなるようなことがあっても、お姉さんのこと、忘れないでね」
「…………うん」
「パメラちゃん、最後にもう一回、顔をよく見せて」
「うん」


「……パメラの奴、大丈夫かな……」
「何かあったみたいですわねー、ようやく春が来ましたの?」
「いいや、コッチの話」
 ベルンハルトは、研究所の方角を見上げて呟いた。
「大丈夫だから、な……」


 パメラは着替えもしないまま、屋外に出ていた。
 手ごたえはあった。間違いなく、姉は大丈夫なはずだ。
「お疲れさん」
 今日助手を務めてもらった上司が出てきた。彼も着替えていない。
「……煙草一本貰えますか?」
「いいけどな。吸えるのか?」
 パメラは上司から煙草を一本貰い、煙を吸い込んだ。思いっきりむせる。無理も無い。普段吸っていないのだ。
「やっぱり」
「姉さんは……大丈夫だと思いますか?」
 パメラの問いに、上司はしばらく黙った。
「……さぁな。ま、俺が見てた限りじゃ、大丈夫だろう」
「ですよね」
 上司が煙を細く吐き出した。相変わらずの曇り空。今のパメラの心境を表しているかのようだ。
「……今日は早く上がらせてもらえますか?」
「あぁ。許可する」
「ありがとうございます」
 パメラは更衣室へときびきびと足を進める。ロッカーの中から携帯電話を取り出し、着信履歴を見る。ベルンハルトか
ら何件も着信が入っていた。
「……いっちょまえに心配しちゃってさ」
 少し笑った後、力をなくしたかのようにパメラは崩れ落ちた。



 それから数年。
 強化手術が施された人間の数は200人を越え、パメラの名前は売れに売れた。
 ドーラは―――


「姉さん、データ取りお願いね。できるだけ詳細希望」
「了解っ! お姉さんに任せときなさい!!」



水無月五日さんのサイトの企画「お題小説」に投稿させてもらった短編です。
お題は「一回目」 相変わらず暗い話ですがね!
色々と直したい部分ありますけど、ありのままを見てもらおうと思い、未修正です。


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