小柄な男だった。
小柄なうえに猫背であり、人ごみにまぎれると姿が見えなくなるほどの上背である。だが、その鋭い目つきと引き締まっ
た肉体は彼が只者ではないことを示していた。
腰に一本の剣をぶら下げた男は人ごみを縫うように歩く。田舎ではあるが、それなりに賑わっているようだ。
「はいはい、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
男は唐突に張り上げられた声につられて立ち止まる。
声の主は中年の怪しげな男であった。その横には黒いローブを身に纏った女とおぼしき人間が立っている。
「さぁ、見るも涙、聞くのも涙のお話しで御座います」
中年が仰々しい身振りで語りだす。いつの間にか男の周りには何人か集まっていた。
「この娘、若くして両親を目の前で亡くし、そのうえあくどい領主に連れて行かれてしまいました」
中年が女の顔を隠しているフードをはぐった。変わった肌と髪の色である。肌も髪も、雪のように白かった。その中で深
紅の瞳と唇が引き立っている。かなりの美女だ。
男は女の瞳に釘付けとなっていた。吸い込まれるような紅さである。中年の身振りはますます大げさになっていたが、
男にとってはもうどうでもよかった。
「さぁ、そこのお客様! こちらのほうへ!」
中年が男を指差す。
「な、何だ!?」
男は素っ頓狂な声をあげた。今まで女の瞳をずっと見続けていたため、全く話の内容がわからない。
男は中年に連れられ女の隣まで足を運ぶ。女からは安っぽい香水の匂いがした。
「今からこの娘がこちらのお客様の未来を見ます!」
「未来ィ!?」
男はまたも素っ頓狂な声をあげた。未来を見るなんて、そんなことができるはずがない。
女が眼を閉じ、なにやら怪しい言葉を呟く。怪しすぎる。
「……みえました」
女が眼を開けた。その紅い瞳に映っていたのは、血塗れになって倒れている赤毛の男の姿だった。
「あなたの夢は、叶います」
女の瞳に映っていた映像は消えていた。目の錯覚なのだろうか。
「あなたは誰よりも強くなれます。誰よりも」
女の適当な言葉を男はうわの空で聞いていた。
あの血塗れになって倒れている男の顔は、自分の顔であったからだ。
深紅の瞳に映るモノ
十年早く生まれていれば。
フィリップは何度もそう思ったことがあった。
あと十年早ければ、このソプニカを北方の雄にすることが出来たはずだ。
この十年で隣国ハイランドは強国としての地盤を固め、このソプニカを征服することも十分に可能である。
そのハイランドが動いてこないのは、南方のフィツール王国が不穏な動きを見せているためであり、ソプニカを恐れて
いるからではない。
局地戦では自分が指揮を執る。負ける気はしない。
だが、大局的に考えてみると、地力の違いは一目瞭然である。国力が違いすぎるうえに、ソプニカは豪族の集まりとい
った感じなので、いざというときのまとまりに欠ける。
もとよりこのソプニカはあまり豊かな土地ではない。一年を通じて冷涼な気候であり、土地も豊かなわけではない。た
だ、質の良い鉱石を産出する鉱山が多数存在するため、ハイランドはソプニカを狙っていた。
だが、この期に及んでまで豪族達は己の力を広げようとすることに腐心している。
これからのことを考えると、あまりいい気分にはなれなかった。
フィリップは背伸びをする。猫背であり、小柄な男だ。だが、全身バネのような筋肉をしており、瞬発力に長けていた。
武芸、軍略、外交手腕、どれをとっても一流である。その才能を買われてソプニカの豪族達のまとめ役を受け持ってい
る。
フィリップは壁にかけてある弓を眺めた。
狩りにでも行ってうさを晴らすか。
一言呟いた。
急に霧が濃くなりだした。
フィリップは供の者ともはぐれ、一人でソプニカの山中を歩き回っている。
ソプニカの山は複雑な地形である。これ以上動き回るのはかえって危険だ。フィリップはこのまま霧が晴れるまで野宿
することにした。
フィリップは馬から降り、今日の獲物を火にかけた。大物を捕る事はできず、小さな兎が三羽ほどである。
腹は持つだろう。火が通った順から手づかみで口に運ぶ。
たまにはこういうのも悪くはない。
フィリップが肉を口に運んでいると、後ろから手が一本伸びてきた。白い。
「なんだ、肉が欲しいのか?」
怪しみながらも焼けた肉を掌に乗せてやる。手は引っ込んだ。
しばらくすると、再び手が伸びてきた。
フィリップは肉を乗せると同時に手首を取って引き寄せる。
「おい、礼も言わないで二回も貰おうなんざ、ちょっと図々しいんじゃないのか?」
長い白髪が見えた。
「……婆あか」
焚き火で顔が見えた。フィリップは息をのむ。まだ若く、美しかった。
そして、この女の顔には見覚えがあった。
「……未来を見るとか言ってた娘だな」
しばらくして女が頷いた。だとすると、少々不可解な点がある。
「俺があんたと会ったのはもう十年以上前になる。なのに何故あんたは老けてないんだ?」
フィリップがこの娘と会ったのは二十年前のことである。十八歳のフィリップは諸国を見て回っていた。その時にこの娘
とは出会ってる。
白髪・白すぎる肌・深く紅い瞳といった特長的な外見をしていたため、その時の印象は強く残っていたのだ。
「……よくわからない。ララは年を取らないって誰かが言ってた」
「不老って訳か。…お前はララというのか?」
ララと名乗った女は頷いた。
「あの時後ろにいた中年のオヤジはどうしたんだ?」
ララはしばらく上を向いていた。
「死んだ」
悲しい記憶ではないようだ。言葉には全く澱みがない。
「じゃあなんでこんな所に一人でいる?」
「わからない」
あまりにもつっけんどんな答えにフィリップは苦笑する。
「どこに行こうか、とかそういうこともわからないのか?」
「うん」
「いつの間にかここにいたって訳か?」
「うん」
身も蓋もないというのはこういうことか。フィリップは思わず声をあげて笑っていた。ララがその様子を怪訝そうに眺めて
いる。
「…ところで、未来が見えるとか言ってたな?」
「……違う」
「違う?」
「ララに見えるのは、人の死に方。ララの眼に映るの」
「死に方……!?」
脳裏によぎるあの映像。
血塗れになって倒れている赤毛の男。
自分の顔―――。
「あれが、俺の死に方って訳か……」
己の死に方を知る。不思議な気分だった。
もしこの女の言う事が本当ならば、自分はあのシチュエーション以外で死ぬということはないのか。
嫌な気分ではあったが、心のどこかに安心したような気持ちが芽生えているのを感じた。
ララが不思議そうにフィリップを眺めている。その吸い込まれそうな紅い瞳で。
ふと、離れたくないという抗いがたい感情を覚えた。
会ってからまだ一時間も経っていないというのに。
「ララ。身寄りがないとか言ってたな」
この娘は身寄りという単語の意味を知っているのだろうか。フィリップはふとそう思った。
「俺がお前を守る。この『赤い虎』ことフィリップが」
フィリップは猫背を伸ばしてララを抱き寄せた。
特に女好きというわけではなかった。
この地方の豪族としては珍しく、妻は一人だけであり、愛人を囲っているという訳でもない。
それがなぜララを連れて帰ったのだろう。
彼の妻は少々嫌な顔をしたが、その時は特に反論もしなかった。
最近のフィリップはいつもララの白い膝の上で眠りにつく。ララの肌は柔らかかった。
フィリップのララへの入れ込み具合は相当なもので、戦にも必ずララを連れて行き、次第に妻には見向きもしなくなって
いた。
彼の変貌振りは、「白い兎が赤い虎を手なずけた」と茶化されている。
ノック音。
もう夜遅い。こんな時間に訪れるなんて、常識知らずもいいところだ。
「どうぞ」
部屋の中にいた女は面倒くさそうにノックに応える。
一人の小柄な男が入ってきた。女はその上背を見て期待を覚えた。
「はじめまして、ニーナ様」
小柄な男は女―ニーナ―の想い人とは違っていた。それはそうだ。あの男は今頃あの忌々しい女のもとにいるのだろ
うから。
「……どちら様?」
「隠すのも何です。ここは正直に述べましょう。私はハイランドの者です」
「ハイランドの……?」
「はい。貴女の夫、フィリップ殿が敵対しているハイランドの者です」
「……それが私に何の用でしょうか?」
「一つ、貴女にお願いしたいことがございまして」
小柄な男は卑屈な笑みを浮かべた。ニーナはその笑みに嫌悪感を覚える。
「そろそろハイランドは動きます。このソプニカを手中に収めるために」
「何ですって……!?」
「ですが、我々は無用な血を流すことを好みません。それ故に貴女にお願いするのです」
「…その願いとは……?」
「フィリップ殿の命。それを取っていただければ貴女とご子息の安全と生存を保障いたします」
「な、何を! 私はフィリップの妻です!!」
「果たしてそうと言えますかな……?」
小柄な男がニーナに歩み寄る。
「今やフィリップ殿はどこの馬の骨ともわからぬ女にご執心の模様。奥方である貴女やご子息のことを一顧だにしてお
りません」
男はなおも囁き続けた。
「もしハイランドとソプニカとの間に大規模な戦が起これば、貴女とご子息のお命の保障はできませぬ」
脂汗が流れていた。
「如何なさる? フィリップ殿の心にあるのは貴女ではなく」
そこから先は言わずとも知れている。聞きたくもない女の名前だ。
「……どう…すればいいのです……?」
「我々が指定する日時にフィリップ殿を呼び出してくだされ。そこに我々と豪族達の軍団が待っています」
ニーナの体は小刻みに震えていた。
「ニーナの奴……呼び出しておいてこれはないだろう……」
フィリップは人気のない平野に呼び出されていた。妙である。何故このような所に呼び出すのか。
気配がした。
それも一人ではなく複数の。
フィリップは腰の双頭剣に手を回す。
「フィリップ殿……ですな?」
小柄な男がこちらへと歩み寄る。
「貴様……誰だ?」
「名乗るほどの者ではございません。ただ、ハイランドの者とだけでも述べておきましょう」
「ハイランド……だと」
「ええ。貴方には死んでいただきます。我が祖国と、このソプニカのために」
「ふざけた事を……」
「我々は極めて真剣ですよ。あなた方がいる限り、この北の地が安定するということはありませんので」
男が指を鳴らす。フィリップの周りに何人もの武装した男たちが現れた。
その中には知った顔もいる。
「……貴様ら……裏切ったな……!」
「裏切りとは心外だな。我々は別にお前に心酔したから付いていたのではない。ただ、我々の安全を保障してほしかっ
ただけだ」
フィリップは周りを見渡す。囲み自体は薄い。血路を開くことは容易だろう。
甘く見られたものだ。フィリップは苦笑する。
それに、あの時に俺がララの瞳に見た映像はこの映像ではない。
つまり、俺はここで死ぬ訳ではないということだ。
フィリップが館へと帰ってきた。側近が慌ててフィリップに近寄る。
「フィリップ様! 一体どこに行っておられたのですか! ……その姿」
側近は血塗れのフィリップに驚きを隠せなかった。
「大丈夫だ。別に怪我はしていない。…その様子だと、何か一大事があったみたいだな」
怪我はないと言うフィリップの目は虚ろである。背中の紅い染みは少しずつ広がっていた。
「……はい。各地の豪族が次々と反旗を……」
「知っている」
フィリップが側近の目の前に歩み寄る。双頭剣の片方の鞘を外した。
「お前も俺から離れたいのだろう?」
「は……」
「遠慮はするな。ほら」
そのまま双頭剣を突き出す。その短い刃先は側近の腹に吸い込まれていった。
誰も信じることはできない。豪族、配下、そして妻も。唯一つ、ララを除いて。
「フィリップ様……?」
「ほら。ほら」
抉る。
側近が倒れた。
「さて……」
フィリップは刃を鞘にしまう。そのまま館の奥へと歩いていった。
「ニーナ。いるか」
フィリップが乱暴に扉を開ける。彼の体はさらに返り血を浴びていた。
「……あなた」
ニーナが震える声で返答する。これからの運命を悟っているかのように。
「ララの瞳を見たことがあるか……?」
ニーナの横にはまだ幼い息子が眠っていた。フィリップはその寝顔を眺めて微笑を浮かべる。
「いえ……。あのような女の瞳など、見たくもありません」
「そうか。面白いものが見れるんだがな。まぁいい」
フィリップは双頭剣を鞘から抜き放ち、息子の首を突き刺した。
「な、何を……」
「お前は己の命と息子の命と引き換えに俺の命を差し出した。ならば、この息子の命とお前の命は同列という訳だ」
ニーナが自分と息子の安全を保障してもらうためにフィリップの命を差し出したということはあの小柄な男から聞き出し
ていた。
「俺は俺を売ったお前を許すことはできん。お前の命と同列の息子もな」
「そんな……。狂ってる、あなたは狂ってます!」
「狂わせたのはお前だ。ニーナ」
フィリップの心は恐ろしいほど冷めていた。妻を前にし、息子を殺したというのに、心には波風一つ立っていない。
フィリップの剣が閃く。
「お前には感謝している。若いころから世話になったからな。せめて」
もう一閃。
ニーナの首が転がった。
「痛みのないように殺してやるさ」
騒がしかった。
いつもとは違う。ララはいつもいる薄暗い部屋の中でそう思った。
彼女に近寄ろうとするものは少ない。
ララは口数少なく、喋るにしても言葉足らずな部分が多々あり、いつも静かな微笑を貼り付けていた。そんなララを不気
味に思う者は多く、彼女はフィリップといるとき以外はいつも一人である。
早くフィリップに来てほしかった。
一人でいるのは寂しい。フィリップはその寂しさを癒してくれる。フィリップが話すことの意味はよくわからないが、楽しそ
うに話しているフィリップを見ているだけでも楽しかった。
もしかしたら自分にここまで優しくしてくれたのはフィリップが始めてかもしれない。
ララはふとそう思った。
「ララ」
フィリップ。
いつもとは違った。体中が赤い。少しだけ怖かった。
でも構わない。今日も来てくれたのだから。
「……俺はいつもと違うだろう?」
「うん」
「怖いか…?」
「ううん」
「そうか……」
フィリップはララの瞳を見つめ続ける。
時たまこの紅い瞳は今まで自分が浴びてきたどんな赤よりも残酷だと感じるときがある。
深すぎる紅。自分の心の底まで見ているかのような視線。
「なぁ、ララ……」
フィリップはララにもたれかかる。まだ乾ききっていない返り血がララの白い肌に付いた。
「ララは、俺から離れたりはしないよな……」
「うん」
相変わらず身も蓋もない返答だ。だが、今のフィリップにとってはこの上なく安心させてくれる言葉だった。
「行こう、ララ。俺はもうここにいたくはない」
フィリップがララの手を取った。眩暈がした。背中の染みは先ほどまでとは比べ物にならないほど広がっている。
「うん」
フィリップとララは薄暗い部屋から抜け出した。
そこにはいつか見た光景が広がっていた。
あの時ララの瞳に映っていたのと同じ光景が。
「……そうか。あの光景は……」
「どうしたの? 行かないの?」
「もう歩けない。…これは昔ララの瞳に映っていた光景と同じ光景だ。」
ララが不思議そうにフィリップの顔を見つめている。
「ララ、これを持って、好きなところに行け」
フィリップが双頭剣と懐に入っていた袋をララに渡す。
「俺はもう死ぬ。ララの瞳に映っていた死に方と同じだ」
フィリップの中で何かが切れた。
フィリップが崩れ落ちる。背中の染みは臀部まで広がっていた。
「……結局何があったのだ?」
ハイランドの武将は副官と共にソプニカを巡察していた。
「…フィリップが乱心、妻と息子、そして側近や使用人まで斬り殺して果てたそうです」
「……赤い虎も堕ちたものだ。私はあの手腕をひそかに尊敬していたものだが」
上層部の判断により、ソプニカを陥落させるために周囲の豪族を少しずつ買収していった。そして、フィリップの妻まで
も。
そのような手段を用いて勝利した。あまり気分はいいものでない。
武将はフィリップの館の前までたどり着く。正門は閉じられていた。
「フィリップの乱心した場所、か……。ここはもう使わないようだな」
「ええ。下手に使って祟られでもすれば大事ですからな」
副官が笑う。
「少し中にでも入ってみるか?」
「怖いもの見たさ、そういうやつですかな?」
武将はたまたま開いていた窓から中に入ってみる。中はすえた臭いが充満していた。思わず鼻をつまむ。
「……暗いな。それに臭い」
武将は軽い火術を唱える。指先に小さな炎が生まれた。それを照明にして中を探索する。
「噂に聞くには、フィリップは素性の知れない女に夢中になっていたそうだな」
「何でも白い肌に白い髪、それに血のような赤い瞳だったそうですぞ」
「ほう。白子という訳か。珍しいな」
武将は一つの扉を開ける。
部屋のようだった。奥のほうを照らしてみる。
「……だれ?」
声がした。
体が震えた。
もっと奥のほうを照らしてみる。
女がいた。
「来ないで。ララはずっとここにいたいの」
女の瞳は紅かった。それこそ、吸い込まれそうなほど。
「ずっとここにいるの。赤い虎といっしょに」
武将は女の隣を照らしてみる。そこには一本の双頭剣がある。
錯乱してるのか。
武将は気の毒そうに女を見つめる。
…女の瞳には矢を浴びている自分が映っていた。
武将は思わず後ずさる。
「だから、ジャマしないで。ララを照らさないで」
武将が部屋から駆け出した。副官が慌ててその後を追う。
その後のララの瞳は光ではなく人の死に方を映し続けていた――。
以前書いた小説のリメイク……というよりはほとんど新作ですね。
中盤でのララとフィリップの絡みを書いたほうがよかったかも。
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